12月3日は魚群探知機の日

12月3日は魚群探知機の日

古野電機株式会社

魚群探知機は古野電気株式会社(以下、当社)の前身である古野電気工業所にて世界で初めて実用化されました。 実用化したのは当社の創業者古野清孝(以下、清孝)。1943年頃、船上で電気工事をしていた清孝は船頭から「泡の出ているところには、魚が沢山いる」という話から着想を得て、魚群探知機の開発に着手しました。海軍の放出物資の中にあった音響測深機を購入し、実験と改良を重ねました。その結果、魚種や魚群の大小を識別できるまで性能は向上し、1948年12月3日に清孝は古野電気工業所を設立し、魚群探知機の販売を本格的に開始しました。この古野電気工業所の設立日が「魚群探知機の日」の由来となっています。

合資会社古野電気工業所

古野清賢_1951

魚群探知機の構造はシンプルなもので、超音波を出し反射を検出する振動子と検出した反射波を可視化する表示器で構成されています。 初期の魚探では表示には紙が使われており、ロール状の記録紙を魚群探知機本体にはめ込み、検出した信号の情報に沿ってペンを走行させ、海中状況を記録していました。その後、世間がカラーテレビの時代に入ると、魚群探知機もブラウン管を使用した商品が出現します。魚探の原理図

世界で初めて魚群探知機の実用化に成功

初代魚探記録紙画像

カラーの登場によりさまざまな色の組み合わせが可能となり、信号の強弱の段階分けが詳細に表現できるようになりました。 現在では液晶式になり、高精細な映像で美しく、詳細な表示が可能となっています。また、信号処理技術が向上したことにより、魚体長の計測や海底質(岩・砂・泥・礫)の判別、また魚群の体長分布の測定などができるようになっています。

カラーの魚群探知機 (1)

カラーの魚群探知機 (2)

現在では広く普及した魚群探知機だが、販売開始直後は苦労も多かったとのこと。当時の漁法と合わないことからうまく活用されず、古野電気工業所には返品された魚群探知機が山積みになっていたこともあるそうです。しかし、1949年5月、五島列島岩瀬浦漁港にて漁獲高が最下位に低迷していた「桝富丸」の船主である桝田氏の協力を得たことが転機となります。魚群探知機が搭載された桝富丸は船頭が魚群探知機への反発で下船してしまい、止むを得ず清孝の弟である清賢が一時的に漁労長を務めました。

結果は大成功で、桝富丸は3カ月連続して岩瀬浦漁港においてトップの漁獲高を収めました。この成功により、魚群探知機の有用性が認められ、その後全国に広がっていくこととなりました。魚群探知機の登場は、漁業者の経験と勘に依存していたそれまでの漁業を科学的見地に基づく方法へと変革させました。戦後日本のイノベーション100選に選出されるなど、歴史的にも価値のある発明であることから、日本の漁労関係者様のアピールポイントとして活用していただきたく「魚群探知機の日」を日本記念日協会に認定申請し、2021年10月20日に正式登録されました。

記念日登録証

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