江戸時代の寿司は、重ねて積むのが常識? 浮世絵から学ぶ楽しみ方
子どもとお寿司
子ども達はお寿司が大好きです。休日にチェーンのお寿司屋さんを訪れてみると、大はしゃぎする子どもをなだめる親御さんの微笑ましい姿がよく見られると思います。
実は、浮世絵にも親子とお寿司をモチーフとしたものがあります。それが、歌川国芳の美人画『縞揃女弁慶』(しまぞろいおんなべんけい)です。
「東京都立図書館 江戸東京デジタルミュージアム」より、歌川国芳 縞揃女弁慶
絵の上部には「をさな子も ねたる安宅の松か鮓(すし) あふぎづけなる 袖にすがりて」という歌が記されており、袖にすがってお寿司をねだる子どもの様子が詠まれています。この「松か鮓」というのは、江戸のお寿司屋さんの名前を指します。松下氏も紹介している通り、このお店は握り寿司を生み出した店として知られ、大変な評判であったとされます。
お寿司を積んでる!?
お寿司の部分に注目してみましょう。一番上にはエビらしき握り寿司があり、その下には卵でくるんだ巻き寿司のようなものがあります。少し見づらいですが、さらにその下にも押し寿司らしきものが乗っています。ここで不思議なのは、お寿司を縦に積んでいるところではないでしょうか。
これは偶然ではありません。以下の『寿し好』だけでなく、『見立源氏はなの宴』や歌川広重のお寿司の絵など他の浮世絵でも、お寿司は縦に積まれています。
「国立国会図書館デジタルアーカイブ」より、歌川豊国 「寿し好」『二十四好今様美人』
末広恭雄の『魚づくし』という本でも、これは江戸期から明治にかけての東京の握りずしの盛り方の基本とされており、少なくとも大正期までは「積む」というスタイルが取られていたと紹介されています。
なぜお寿司が積まれるようになったのか?
では、当時なぜお寿司を積んでいたのでしょうか。大川智彦 著『現代すし学』では、この積み方について解説しています。以下引用すると
(当時)握りずしはこのように積み上げるのが本筋であって、平面的に並べる盛りつけ(『流し積み』と呼ぶ)は、遊郭の料理屋やその界隈の屋台などいわゆる悪所でのやり方であったという。また戦前は「流し積み」を一般家庭に出前すると「堅気の家に台屋(遊郭用達の仕出屋)のすしを持ってくるな」と怒られることもあったという。
現代のようなお寿司の盛り方を「流し積み」と呼んだことや、それが避けられた経緯も今では考えられないですね。またその背景も、謎に包まれています。
お寿司はどうして今のような姿になったのか?そして今後、私たちはどのようなお寿司を食べているのか?過去と未来に思いを馳せながら食べるお寿司も、また格別かもしれませんね。
この記事は、江戸時代の魚食文化・水産物流通について調べている「鷹 輝政」さんが書きました。
美味しい魚を扱っている「㈱フーディソン」で働いているそうです!