初ガツオは江戸時代から大人気の料理! 浮世絵から学ぶ楽しみ方
江戸時代から楽しまれている初鰹!
初夏の気配が近づくと、食べたくなるのが初ガツオ。初ガツオは、江戸時代から楽しまれ続けている季節の味です。しかし、当時の浮世絵を見てみると、今とは異なる初ガツオの楽しみ方が伺えます。
カツオは船まで迎えに行って買うもの!?
現代では、近所のスーパーに行けば冷蔵ケースに新鮮なカツオのお刺身が並んでいます。しかし、江戸時代には冷蔵庫もトラックもありませんから、同じようにカツオを手に入れて食べることはできませんでした。
そこで、江戸で人気の高かった初ガツオについては、特に新鮮な状態で食べたいということで陸から船を出してカツオを迎えにいくという方法がときに取られたほどです。以下に、冨岡一成 著『江戸前魚食大全』で紹介されている、初ガツオの調達方法を引用します。
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魚屋の持ってくるのを待てば品が劣るとして、品川沖から船を出しておく。(現在の神奈川県)三浦三崎から鰹を積んでくる押送船を見かけて、金一両を投げ込めば、船頭は合点して、鰹魚一尾をさし出す。それを受け取って、櫓(ろ)を飛して帰る。これを名付けて真の初鰹食いという
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押送船(おしおくりぶね)という言葉はあまり馴染みがないかもしれませんが、葛飾北斎の富嶽三十六景 神奈川沖浪裏という名画に描かれている船が押送船です。この船は鮮魚を新鮮なうちに運ぶための高速船でした。
「国立国会図書館デジタルコレクション」より、葛飾北斎 富嶽三十六景神奈川沖浪裏
押送船は複数人が対になって全力で櫓を動かしたため速く動けた。
このようなやり方で調達された初ガツオを食べることができたのは、主に将軍家、高級料亭、人気の歌舞伎役者と、一部の人に限られていました。江戸庶民の口に入るのは、その残りということになります。
江戸庶民のカツオの買い方
残りのカツオとはいえ、庶民にとっては高価なものでした。川柳でも、「初かつほ 片身となりへ なすりつけ」という句が残っているように(蟻川トモ子 著『江戸の魚食文化-川柳を通して-』より)、ご近所で分け合って買うこともあったと考えられます。そのような様子を描いたのが、三代目 歌川豊国の『卯の花月(うのはなづき)』という浮世絵です。
「東京都立図書館 江戸東京デジタルミュージアム」より、歌川豊国 卯の花月
3枚の絵のうち、中央には初ガツオをさばくいなせな男性と、美味しそうなカツオを見てうっとりとした表情を浮かべる女性が配置されています。男性はまな板を桶にかけてカツオをさばいています。桶は2つあり、棒とひもでつながっていることから、これを肩にかついでカツオを売り歩いている途中のようです。歌舞伎役者のようなキッとした視線を向けており、その威勢の良い売り声が伺えます。
また左右の絵には、大きなお皿を出してさばいたカツオを買おうとしている女性たちが描かれています。おんぶされた赤ん坊や活発に動く犬の姿も見られ、通りの喧噪が今にも聞こえてきそうです。
今とは違うカツオの食べ方?
こうして買ったカツオの食べ方も、現代とは違う部分があったようです。例えば、「そこが江戸 小判を辛子みそで食い」というカツオについて詠んだ川柳が残っています(冨岡一成 著『江戸前魚食大全』より)。当時大変高価だったカツオを小判に例えていることがわかりますが、それだけではありません。カツオを辛子みそで食べていたようです。この川柳以外にも、森火山の『日本橋魚河岸』では「初がつお からしがなくて 目に涙」という句が紹介されており、カツオに辛子を合わせる食べかたは珍しいものではなかったと思われます。
また、先ほどの浮世絵をよく見ると、家の奥には大根おろしが準備されていることがわかります。カツオ売りがやってくるのを待ちながら、魚に合わせる大根おろしを作っていたのでしょうか。現代ではカツオはニンニクとあわせて食べることもあると思うのですが、それとは違う当時の食べ方の一端が浮世絵から伺えたのではないでしょうか。
歌川豊国 卯の花月 左端の抜粋。大根とおろし器、受け皿が細かく書かれている。
普段とは違ったカツオの楽しみ方を試してみるのも面白いかもしれませんね。
この記事は、江戸時代の魚食文化・水産物流通について調べている「鷹 輝政」さんが書きました。
美味しい魚を扱っている「㈱フーディソン」で働いているそうです!
カツオについての幅広い情報が掲載されているページは「こちら」からどうぞ!