季節を味わう さかな歳時記 尾山雅一 (一社)日本さかな検定協会 代表理事 2021.04

(一社)日本さかな検定協会 代表理事 尾山雅一様のご好意により、本会月刊誌「水産界」に連載している「季節を味わう さかな歳時記」を、おさかなメルマガ・魚食普及推進センターホームページにも掲載させていただています。コロナ禍でも、私たちは季節の魚介類の伝統や文化を楽しんでいきたいと思います。

令和3年(2021年)

水産界4月号  清明 令和3年4月4日  穀雨 令和3年4月20日  New!

水産界3月号  啓蟄 令和3年3月5日  春分 令和3年3月20日

水産界2月号  立春 令和3年2月3日  雨水 令和3年2月18日

水産界1月号  小寒 令和3年1月5日  大寒 令和3年1月20日

令和2年(2020年)

水産界12月号  大雪 令和2年12月7日  冬至 令和2年12月21日

水産界11月号  立冬 令和2年11月7日  小雪 令和2年11月22日

水産界10月号  寒露 令和2年10月8日  霜降 令和2年10月23日

水産界9月号  白露 令和2年9月7日  秋分 令和2年9月22日

 

 

 

水産界4月号 (令和3年)

 

小さな春の風物詩

春は小さきものがうごめく季節。魚界でもイイダコ、ノレソレ(アナゴの稚魚)、シラウオ、イサザ(シロウオ)・・・。そしてホタルイカ。小さきものたちの春、といえば真っ先にホタルイカが思い浮かぶ。1月にボイルした小指の先ほどのちっこいものが登場、それが次第に大きくなり、3月下旬からゴールデンウィークにかけては群れなすように店頭を賑わせる。

産卵のために日本海側に押し寄せるホタルイカは、兵庫県や京都府からの入荷も多いが、3月以降、富山県産の入荷が本格化してからがハイシーズン。肝はパンパンに膨れ、複雑にして濃厚な味。ホタルイカの味の決め手は、肝にどれだけ脂がのっているかであり、富山湾産はほかの追随を許さず、といったところ。

その秘密は富山湾の地形にある。岸近くでも水深200~300㍍のすり鉢状となっており、深海性のホタルイカは、湾の奥までやってくる。それだけ成熟しており、だから、うまい。

なかでも富山県滑川市は、天正13(1585)年のホタルイカ漁の記録を残し、ミュージアムまである有数の産地。

富山湾に面した滑川は、ホタルイカ一色の町だ。駅を出て歩く石畳には踊るホタルイカの絵が。マンホールには定置漁風景。3月1日に漁が始まり中旬になると、いよいよ出荷の最盛期となる。漁港近くの加工場にはホワホワと湯気がたちこめ、50㌔単位でホタルイカが釜ゆでされていく。この時期には生の出荷も忙しい。積み重なったホタルイカの山から、トレーに並べていく作業だ。ベテランとおぼしき女性たちにより淡々と作業が続く。

刺身でいただくホタルイカ。真ん中に山盛りになっているのは富山で「竜宮そうめん」と呼ばれる足の刺身。。

ところで、私たちの口にはいるホタルイカはすべてメスだということをご存知だろうか。富山湾のホタルイカ漁は春の産卵期に重なる。実はその時期、もはやオスはいない。冬に精子の入ったカプセル(精莢)をメスに託すと、そこで役目は終わり。死んでしまうのだ。残ったメスは、たくましくもひとり(?)身ごもり、たくさんの子孫を残すことになる。オスが店頭デビューすることはないのだ。ひっそりと陰の存在。誉れはすべてメスにあり。

 

 

思わず目を見張る春告魚

思わず目を見張るおいしさの春告魚、メバル。

目がパッチリと大きく、見張っているようなその姿から眼張(めばる)の名がある。全長30㌢ほどになり、北海道から九州までの海藻が豊富な岩礁域に群れですむメバルは、船からも堤防からも次々と釣れるため、釣り人に人気抜群の魚でもある。風がやんで波穏やかになると岩場から群れをなして浮きあがったところを狙うのがよいとの意味の「メバルは凪(なぎ)を釣れ」という格言や、暖かな春の宵、内湾でまるで油を流したようにベタ~と海が凪ぐことを表す 「メバル凪」という言葉もある。

木の芽時季を中心に初夏にかけて旬を迎えるが、脂がのって身がしまるこの時季のメバルは、ホロリと身離れする白身をもち、とろけるような旨みがある。刺身志向の強い近頃でも身がやわらかく、かつ骨ばなれがよいところから、尾頭つきの煮つけ、焼き魚が好まれる。

春の雨は、里山の幸にとっても恵みの雨。「旬」という言葉の語源ともいわれる筍(たけのこ)が出始めると、芳しい野の香りやしゃっきりした歯ごたえに、海の幸との競演が愉しみになる。春先の新わかめとは「若筍煮」に、はまぐりと合わせたお吸い物、またはまぐりの潮汁に筍ご飯の取り合わせ・・・と山海の幸の出合いものには事欠かないこの季節を歓びたい。

そんななかで、メバルとの炊き合わせは思わず目を見張るほどのおいしさ。その相性の良さは、たけのこが出る季節においしくなるこの時季のメバルを「たけのこめばる」と呼ぶほどだ。

煮つけが定番のメバルは淡泊でクセがないゆえ、さまざまな料理にも使える。酒蒸しもそのひとつで、風味と旨みを増すためにメバルの下に昆布をしき、酒と出汁をかけ蒸し器で15分蒸し上げればできあがり。小ぶりのメバルなら、あんかけのから揚げもおすすめ。二度揚げすると、小骨まで食べられる。

メバルの色は金、黒、白、茶、青、赤など棲む場所によってさまざま。長らく体色の違いは個体差といわれてきたが、最近の研究で種の違いによるものということが明らかになり、メバルは3種に分けられた。胸びれの筋が15本はアカメバル。16本はクロメバル、17本はシロメバル。あなたにとっておなじみのメバルは何メバルだろうか。

 

 

水産界3月号 (令和3年)

 

色、味、香り三拍子そろう貝種の主役

「色と艶がとてもよく、握っても形が堂々として歯触りも極上、そのうえ香りが高く、味は優雅で上品」。職人気質の鮨屋の主人たちに聞くと、たいていはこのような評価で一致するアカガイ。あでやかな朱の色、シコシコとした食感、清々しいその香りと、貝に求められるうまさのすべてを持つこの貝は、古くからの貝種の主役である。身が赤いほど高値がつき、この赤色は人間の血液と同じヘモグロビンによるものだ。色合いも味も宮城県閖上(ゆりあげ)や石巻・渡波(わたのは)産のものが国内随一とされ、最も高価。ただし、ひと昔前までは江戸前でもたくさん採れ、千葉県検(け)見(み)川などの東京湾のものが最高級だった。国産はあまり流通しないため、輸入もののほか赤貝にそっくりのサトウガイやサルボウを代用することが多い。市場ではアカガイを単にタマ(玉)、ホンダマ(本玉)、ホンアカ(本赤)などと呼び、外洋性のサトウガイをバチ(場違いの意)などと区別している。赤貝の缶詰にはたいていサルボウが使われている。とはいうものの、サトウガイもサルボウもそのおいしさはアカガイに引けを取るものではない。

小ぶりなものは刻み生姜を加えて煮付けてもよいが、鮨や刺身など、生で供するのが最も喜ばれる。産卵にそなえて太るこの頃が食べごろ。

注文すると水槽や冷蔵ケースから、丸みを帯びて黒っぽい殻の表面に何十本ものくぼんだ筋が並んでいる貝を取り出し、がりがりと派手な音を立てて殻をむく。続いてむき身の足の縁にすすっと十数本の飾り包丁を入れ、思いきりまな板に叩きつける。職人のこの一連のワザを見ないと、鮨屋に行った気分になれない。

飾り包丁は足がそっくり返るのを防いで見た目を颯爽とし、また歯触りをよくするためだ。叩きつけるのは身を締め、噛み心地をいっそう高めるためだ。酸味と渋みと甘み、加えてほのかな鉄のような匂いと磯香がからまりあう。このアンサンブルの機微が、赤貝ならではの清冽な風味を生む。

よく巻物にされるヒモ(外套(がいとう)膜(まく))は磯の香が強く、こりこりとした歯ごたえがたまらない。

 

 

 

岡山で決まる魚の価値

魚へんに春と書いてサワラと読む。ほっそり長い姿に柔らかな身が詰まっている。俳諧では春の季語。しかし、関東などでは脂がのった冬場がうまいとされる。「寒鰆」という、うまい時季を表す言葉さえある。春を迎えると産卵のために外海から瀬戸内海へ群れをなして回遊する。待ちかまえていた漁師が大漁に沸く。こうして春を告げる魚として「鰆」の字が生まれたと考えられる。

関西や瀬戸内では春の味覚、関東では晩秋から冬に旬となる鰆の身はデリケート。丁寧に扱わないと身割れしやすい。しかも足が早いため、火を通すなら定番は西京焼き。酒とみりんで練った白みそ(西京味噌)に漬け込み、身を締め味をつけてから焼き上げる。ほろほろとくずれやすい身がほどよく締まり、味噌の甘さがサワラの品のいい味をきわだたせる。冷めても硬くならず、味が変わらない。

一方、脂がのった腹側を熟成させた刺身はトロに負けない、ねっとりとした独特の食感ながら上品な甘みが広がる。ポン酢や三杯酢との相性がよく“鰆の刺身は皿までなめる”と評されるのはこのことかと合点がいく。京阪神から岡山には、刺身で食する習慣が根づいている。また、若魚のサゴシを酢で締めた「生(き)ずし」はこれらの地方の伝統の正月魚でもある。魚は一般に頭側のほうがおいしいといわれるが、サワラは尾側のほうが美味とか。

「サワラの値段は岡山で決まる」の言葉通り、一大消費地は全国のサワラの3割を消費するという岡山県だ。ばらずしをはじめ、炒り焼きなどサワラ料理の種類も豊富だが、影を落としているのが地場の漁業資源の減少。県は小さな魚を獲らないよう網の目を大きくするなど水産資源保護に努めるものの、2016年の都道府県別のサワラ水揚量は全国32位(0.4%)。代わって漁が盛んなのは日本海沿岸だ。同年1位は福井県。以下、石川、京都、島根と続く。漁獲量が減っても、岡山県民にとって親しんだ味であることに変わりはない。そこに新たな価値が生じる。サワラを刺身で食する習慣が根づいた岡山には全国からとびきり鮮度の良いものが集まる。独特の食感を楽しみに来県する観光客も。鰆好きの岡山がうまい鰆を全国から引き寄せ、観光資源を生み出し県民の懐を潤す。経済の好循環である。

サワラの名は腹がほっそりしていることから、さ(狭)はら(腹)を語源とする。若魚、サゴシも「狭腰」からといわれる。なんともうらやましい体形だ。

 

 

 

水産界2月号(令和3年)

 

伝説の春告魚

近年になく、「立春」の文字が温かみにあふれ、恋しく感じられる。水温が緩みはじめると、多くの魚にとっては産卵の季節を迎える。魚は産卵にむけて体力をつけようと餌を食べこみ、また産卵のために岸辺近くの藻場に寄ってくる。立春の声に誘われるように日本各地で「春告魚」の名で登場する。

いまだ寒さ厳しい北海道や東北にも、まさしく春告魚と表わす魚が群れをなして沿岸にやってくる。ニシンだ。ニシンには3つの漢字が当てられる。そのひとつが北国を代表する「春告魚」。東日本でとれるから「鰊」。そして、鯡。魚に非ず―。江戸から明治にかけての春、北海道に押し寄せたニシン。食用にしても有り余るそれは、脂を搾られると、北前船で西に運ばれ、畑の肥料になった。

江差の五月は江戸にもないと誇る鰊の春の海江差追分の前唄にこう謡われたように松前藩の江差は、かつては春にしんの豊漁にわいた。その栄華は、本州からやってきた季節労働者「やん衆」の漁労歌、ソーラン節にも唄われる。そして網元にも巨万の富をもたらし、海沿いには鯡御殿が立ち並んだ。明治時代に最高潮を迎えたニシン漁は、明治30(1897)年に最高の97万5千㌧の漁獲が記録された。しかしそこを頂点に年々減り続け、昭和13(1938)年には1万3千㌧となり、戦後さらに減少を続け、昭和35(1960)年以降、近年までほとんどその姿を消してしまった。希代のヒットメーカー、なかにし礼が「石狩挽歌」に描いたのは、戦後まもない頃のニシン漁に一攫千金を求め、夢破れた人たちの心象だった。あれからニシンはどこにいったやら…

京のおばんざい「にしんなす」(画像提供:京の食文化ミュージアム・あじわい館)

北海道では生ニシンを塩焼きにして食べるほか、塩ニシンやニシンずしなどにし、またニシンを開き干しにして保存食にする。昔は、身を二つに割って腹側を肥料に、背側を身欠きニシンに加工していた。身を二つに割くことから二身、にしんという名がついたといわれる。この身欠きにしんを調理してかけそばの中にいれたにしんそばは京都名物。惣菜の昆布巻きの芯も身欠きにしんが用いられることが多く、取り合わせのよいことのたとえにも。身欠きにしんと蕗(ふき)の煮しめや独活(うど)、なすの炊き合わせなどもおいしく、格好の出合いもの。

 

 

バカガイ?青柳?

春の定番寿司ダネ、アオヤギ(青柳)は標準和名をバカガイという。和名の由来は潮の満ち引き、砂地の変化に敏感で、一夜にして棲む場所を変えてしまうので「場替え」、水揚げされると殻がきっちりと閉まらず、足をだらりと出している様から「馬鹿」、殻が薄く割れやすいところから「破殻貝(ばかがい)」、さらに名産地だった馬加(まくわり・現在の千葉市幕張)を音読みした「馬加貝」など諸説ある。この貝を巧みにむくのが千葉県浦安の漁民たち。バカガイは浦安産が最上とされた。語感が悪いので、その昔、集積加工の中心地であった千葉県青柳村(現在の市原市青柳)にちなんだアオヤギが寿司屋から広がり、通り名となっている。足のみを指して青柳、または舌切りと呼ぶのが一般的。むき身の味は淡泊だが、独特の苦みと甘さが癖になる。また、個性の強い磯の香りを放ち、これが鼻にぬける感覚は好む人にとってはたまらない。

部位や調理法によって、さまざまに名前が変わるのもアオヤギの特徴。そのままの形に干したものは桜貝、足を引き伸ばしたものは姫貝と呼ばれ、珍味として喜ばれる。

“むき身はまぐり ばかはしら”の言葉どおり、バカガイは身より貝柱の方がもてはやされる。貝柱はホタテガイなどにくらべて小さく「小柱」ともアラレとも呼ばれ、ひとつの貝に大小2つある。大きい方を大星、小さいほうが小星と呼び分けられる。小柱は独特の甘みと噛み心地も愉しい。寿司ダネとして軍艦巻きにするほか、吸い物種、かき揚げなどに用いられる。また、霰蕎麦(あられそば)にも欠かせない貝である。霰蕎麦とはかけそばにあられに見立てたアオヤギの貝柱と揉み海苔を散らしたもので、なかなか味わいのある汁そばだ。

©ぼうずコンニャク

新鮮なものが手に入ると、分葱と辛子味噌であえる青柳のぬたは格好の酒の肴になる。

©ぼうずコンニャク

アオヤギはけっして高級ネタではなく、極上の味とも言い難い。それでも必ずと言っていいほど注文してしまうのは、つい微笑んでしまうかのような潮の香りと見た目の美しさにひかれるからだ。またどこか物足りなくも小気味のよい歯ざわり、みずみずしい味わいが心なごませてくれるからに違いない。

 

 

 

 

 

水産界1月号 (令和3年)

 

縁起物の出世魚

 

正月に一家の繁栄を祈って食べる年取り魚。その立役者をつとめる大物となれば、正月魚の横綱、まるまる太った天然のぶりにつきる。東が鮭なら、西は鰤。西日本では「年取りぶり」といわれ、正月料理に欠かせない。

名の由来は「あぶら」の多い魚だから「ぶり」。あるいは、「年経りたる魚」の「ふり」によるという説もある。師走にもっとも味がよくなるから漢字では鰤。中国語で「魚師」とは「老魚」「大魚」のことを指すので、これに由来するとも。

ご存じのように、大きくなるにつれ名が変わる、おめでたい出世魚。で、幼名は? これがスラスラ言える人がいたらエライ。関東では、ワカシ⇒イナダ⇒ワラサ⇒ブリ。関西では、ツバス⇒ハマチ⇒メジロ⇒ブリ。全国各地、呼び名は120もあるそうだが、どこでも1㍍前後になるとブリと呼んでいる。ツバイソ、コズクラ、フクラギ、ガンド、ガンドブリ、そしてブリと6度も名前を変える北陸では、厳寒の「寒ぶり」の評価が高い。なかでも富山湾の定置網で漁獲される氷見ぶりは最高級とされる。氷見漁協は、ブランド価値を高めるため、重さ6㌔以上を「ひみ寒ぶり」として認定。漁協や仲買人らでつくる判定委員会が毎年、寒ブリを安定的に出荷できる見通しが立ったときに「ひみ寒ぶり宣言」を出している(昨年は11月21日だった)。

旨みがつまったアラを使うぶり大根は、大根が主役。

正月料理にはやっぱり、刺身。それもいつもより心持ち厚めに切った刺身にかぎる、という御仁が多そうだが、実は加熱調理をしたほうがブリ本来のうまみを堪能できるという。照り焼き、塩焼き、みそ漬け。とりわけ照り焼きは、ぶりの定番中の定番といった料理で、身が締まりつつ甘辛いタレと絡み合う脂が食欲をそそる。塩焼きは塩だけのシンプルな味付けだけに、魚の風味が楽しめる。粗塩を使って焼き、皮はパリッと、身はふんわりとしたぶりには大根おろしとレモンを添えたい。みそ漬けは、西京みそをはじめ、好みのみそにみりんを加え漬けたものを焼く。酒粕に漬けた粕漬けもオススメだ。ブリとくれば、忘れてならないのがぶり大根。もとは能登や富山の漁師料理と伝わるこの料理の醍醐味は、ぶりのうまみがたっぷりとしみ込んだ大根。寒い冬には欠かせない。

 

 

とろとろ溶ける白子は親勝り。

 

初雪の便りが聞こえるころになると、獲れだすのが鱈。マダラは晩秋から冬にかけて北海道や東北、北陸で水揚げされる。北国で雪の降る季節によくとれることから「鱈」の漢字をあてるようになったとの説がある。

多くの魚が春の産卵に備えて、冬には脂がのってくる。小寒(1月5日)の寒の入りから、大寒を経て、立春(2月3日)を迎える寒明けまでが、一年中で寒さが最も厳しい時季。この寒の頃に味がよくなるマダラを「寒鱈」と呼ぶ。

北国ではとれたてを昆布締めにして刺身でも食べる。クセがなくとりわけ昆布と相性がよいので、身のエキスが汁に溶けだすちり鍋(たら鍋)にするのが好まれる。津軽では「じゃっぱ汁」。秋田の「だだみ汁」。これらの地方では、タラの身がとても煮えやすいことを“鱈は馬の鼻息でも煮える”という言葉で表す。寒い夜フーフーいって食べる鍋は、体を芯から温めてくれる。

雪が深まる山形・庄内地方でもこの季節の愉しみは鱈だ。当地の名物は寒鱈の「どんがら汁」。どんがらとは胴アラのことで、頭から内臓まで豪快にいれたアラ汁だ。酒田の冬の風物詩「酒田日本海寒鱈まつり」が例年1月末の土日に、酒田駅前やさかた海鮮市場など市内4カ所で開催され、寒鱈汁が味わうことができる(今年はコロナ禍で中止に)。

雪のような白い身は脂が少なく淡泊であっさり、だが白子はこってり。この季節、北国を旅すると、魚のうまい店では必ずといっていいほど白子の品書きを目にする。ところが、「白子」と書かれている店にはとんとお目にかからない。函館あたりから青森にかけては「たち」か「たつ」、または「たご」。岩手、宮城だと「きく」「菊腸」「菊子」。秋田から山形、そして福井では「だだみ」、京都に行くと「雲子」が通り名だ。素性がわかると、次にはいつもといっていいほど、選択に悩む。「ぽん酢」か「天ぷら」、いずれを選ぶべきか。甲乙つけがたし。

寒くなるにつれて大きくなり乳白色になる白子。クセがなくミルキーな食感で、サッと下ゆでしてポン酢をかけても、揚げてもおいしい。

鱈は食欲旺盛。貝や小魚、イカなど手あたり次第に食べる。実際に食べ過ぎが原因で胃潰瘍にかかる魚もいるらしい。この大食いの性質から「鱈腹(たらふく)」という言葉が生まれた。

世界でもタラはポピュラーな魚で、揚げたタラにフライドポテトを添えた英国の「フィッシュ&ポテト」は有名だ。

日本各地のおいしいお魚情報も満載!日本さかな検定公式サイト

 

 

 

 

水産界12月号

 

 

河豚は食いたし…

産卵前の冬、鍋の季節に旬を迎えるフグ。淡泊にして、旨みがぎゅっと詰まった味わい。ふぐ刺し、ふぐちり、焼きふぐ、から揚げ、白子…、いずれもうっとりするほどのおいしさだ。最大の特徴は肝臓や卵巣に含まれる猛毒。ほかの国では見向きもされない危ない魚だが、私たち日本人の心をずっと惑わせ続ける魚への悩ましい思いは、「河豚は食いたし 命は惜しし」や「河豚汁を食わぬたわけに食うたわけ」との言葉からも分かる。

フグを指す隠語にも事欠かない。てっさ、てっちりがおなじみの大阪で「テッポウ(鉄砲)」というのはあたると死ぬからきたシャレ。しかし、昔の鉄砲は精度が低くて滅多に命中しないことから、逆説的に“うちのは当たらない”という売り文句を掲げる店もあったという。もっと怖い「キタマクラ(北枕)」や「ガンバ(棺桶)」というのもある。実際はめったに毒にあたらないので「トミ(富)」というのも。これは江戸時代の宝くじ“富くじ”から。

フグは世界で約120種が確認され、日本には45種が分布する。そのうち食用とされるのは、トラフグ、マフグ、ショウサイフグ、ゴマフグ、ヒガンフグ、シロサバフグなど数種類。なかでもトラフグの天然ものは、もっとも美味とされる。ぎりぎりまで薄くひかれるのは、皿の模様を愉しみながら身の硬いふぐをおいしくいただくためであり、薄くないと噛み切れないため。身は高タンパクで超低脂肪。イノシン酸、グリシン、リジンなどが豊富で、独特の旨みと歯ごたえがある。

華やかな大輪を咲かせるふぐ刺し。熟成し旨みがでるのを待って刺身にする。  山口県 提供

近年、フグが好んで食べる貝やヒトデに含まれる猛毒、テトロドトキシンがフグの内臓に蓄積されることが解明された。そこで、稚魚のときから毒のないエサだけを与えてトラフグ養殖が行われるようになっている。近い将来、フグの肝も食用とする時代がやってくるかもしれない。

いまや「河豚は食いたし 毒もなし」である。

 

 

 

冬至なまこ

木枯らしの訪れとともにシーズンが始まるナマコ。気温の下がってくる、秋から冬にかけてよく餌を食べるようになるため、師走のこの時季、身肉が締まり最もおいしく「冬至なまこ」という言葉もある。スーパーなどでは、小さく切ったものが袋やパックに入れられて販売されるが、市場にはそのままの姿で海水をしこんだビニール袋に入ってやってくる。見た目にぎょっとする向きもありそうだが、ひとたび酢の物にでもすれば、なんともいえない滋味風味。

生のなまこを薄く切って酢の物に仕立てた「なまこ酢」、じんわり、こりこり、なんともいえぬ歯触りが魅力だ。酒の肴に最高、熱燗がほしくなる。

ナマコは体表の色から、青、黒、赤の3種がある。内湾の砂泥にすみ、暗緑色をしたものを「青なまこ」、黒色のものを「黒なまこ」、岩礁をすみ処とし赤褐色の模様のあるものを「赤なまこ」と呼び、一般に関東では青なまこ、関西では赤なまこが好まれる。

漢字で「海鼠」と当てるのは、夜に動きまわる様子がネズミに似ているから。その姿かたちからは想像もできない滋味なるナマコ。ナマコの仲間は世界中に生息し、熱帯アジアにもたくさんの種類がいる。日本のように生で食べる国はまれで、ナマコの加工、乾物生産はしても食用としない地域も多い。

ナマコを食文化にまで高めたのは中国である。昔もいまも中国か中国人のいる町々に集まってくる。ナマコは乾燥させると、たちまち中国料理を代表する高級食材となる。中国料理では、内臓をのぞいて茹でてから乾燥させた「煎海鼠(いりこ)」を使い、もどすのに5日から1週間もかける。その味わいは絶妙で、生のときはこりこりとしていた食感がぷるぷるに変わる。料理としてはスープなどの旨みをよく吸わせた煮込みなどにするのが一般的だが、なかでもフカヒレや干しアワビとともに煮込んだ「紅焼(ほんしゃお)三鮮」が有名だ。

ナマコは古来一字で“こ”と呼ばれ、干したものを「干しこ」「いりこ」というのに対して「生こ」とされた。したがって、この内臓を「このわた(腸)」、卵巣を「このこ」というのである。汐うに、からすみと並んでこれまた日本の三大珍味にあげられる「このわた」は、細い腸を指先で選別する手間を惜しまぬ作業を経てつくられる珍味中の珍味だ。

姿が珍妙でひょうきんなこの小動物は、俳人たちにこよなく愛される存在でもあった。

思うこと いはぬさまなる 海鼠かな  蕪村

尾頭の 心もとなき 海鼠かな  去来

 

日本各地のおいしいお魚情報も満載!日本さかな検定公式サイト

 

 

 

水産界11月号

 

                    かますの焼き食い一升飯

カマス(アカカマス)は夏場の産卵前後を除けばいつでも美味だが、旬は脂がたっぷりのった大型がとれる秋から冬にかけて。

「かますの焼き食い一升飯」といわれるほど、淡泊で上品ながら脂ののったカマスを焼くと、ごはんが進むこと間違いなし。身が柔らかく水分が多いカマスは、干物にすると旨みが凝縮されておいしくなる。アジなどと異なり頭を残した背開きで作る「小田原開き」は、神奈川県小田原の伝統だ。

身離れがよい熱々のうちに、ハフハフいいながら食したい小田原開きの干物

家庭で手軽に作れる「一夜干し」も人気だ。まずウロコを落として開き、内臓を取り出して流水でよく洗う。次に海水程度の濃い目の塩水に20~30分漬けて風通しのよいところで半日、夜から朝方まで干す。柔らかい魚なので、皮がはがれないよう丁寧に焼き上げればふわふわになる。

この時季の大きくて鮮度が良いものは、刺身にも向き、酢締めもいける。これに目をつけた料理人の間で近年、刺身にすることが流行っている。とくに皮つきのアカカマスの炙りは絶品の味わいという。

皮目が香ばしいカマスの炙り刺身

カマスは本州から南の海域に生息し、関東近海では千葉や相模湾でとれる。一般にカマスというとアカカマスのことを指し、別名ホン(本)カマスとも呼ばれる。やや水分の多いヤマトカマスはミズ(水)カマスともいわれ、アカカマスの半値以下で干物に向く。紀州や四国の「かます寿司」はこちら。

ところで、カマスは美しく繊細にも見える外見とはほど遠く、その実とても獰猛(どうもう)な魚という。昔の文献にはこうある。

“鋭い歯で小魚を追い、獰猛、貪欲ぶりを発揮する。憎々しい下あごを突き出している”

あんなにおいしいのに、憎々しい、とは少々気の毒にも思えるが、ともあれ大きく裂けた口と鋭く尖った歯が特徴的で、気性がとても荒い海の暴れん坊というのが昔からの定評らしい。

というところから「かます」は攻撃的な意味あいを持たせるために使われる。

‘はったりをかます’‘一発かます’と。

 

 

                    神の魚、降臨。

木枯らしを引きつれ、今年もハタハタが首都圏にもやってくる。11月、シーズンの前触れを告げるように北海道産や山形県産が入荷。やがて北風が舞い込む12月、秋田県産の登場で、本格的なシーズンに入る。

雪に閉ざされた里海へ、雷鳴と潮鳴りをとどろかせやってくるハタハタ、漢字で書けば、「鰰」。ハタハタには地域によって異なる旬が二度ある。東北の旬は晩秋から初冬。秋田県の男鹿半島沿岸ではこの時季、深海魚のハタハタが産卵のため沖合から沿岸にやってくる魚群をねらう定置網漁が主体。一方、北陸から山陰沖の旬は春。エサの多い深海へ回遊するハタハタを底びき網漁でとる。こちらは産卵魚でないため、脂のりがよく、干物などに加工されることが多い。

♪秋田名物、八森はたはた、男鹿で男鹿ぶりこ・・・と秋田音頭で歌われる「ぶりこ」とはハタハタの卵のことだ。特有のぬめりとプチプチした食感をもつ。

ハタハタの子なのになぜブリコと呼ばれるのか。江戸時代に水戸から秋田に移された佐竹の殿様―現在の佐竹敬久(のりひさ)秋田県知事はその子孫で21代目にあたる―が、太平洋で獲れるブリを懐かしんでハタハタをブリと呼び、そこからブリコと呼ばれるようになった、と。もう一説あり、ときの領主が抱卵するハタハタを禁漁としたため、庶民はブリの子と称して食べたからとも伝わる。

ふだんのハタハタは、水深100~400㍍ほどの深場の砂泥地に生息している。12月に水温が急速に下がる浅瀬にやってきて、水深5㍍前後のホンダワラなどの藻場に産卵する。メス1尾が1000~2500粒の卵を持ち、オスとともに大群で押し寄せるというから想像するだけで壮観である。

「鰰」と書かれるのは、初冬の雷が鳴るころに沿岸に近寄ってくるのと、その雷を神様にたとえたことが由来だとか。

ハタハタ漁の初物はオスメスを腹合わせにして神棚にお供えし、シーズンの豊漁を祈るのが漁師たちの習い

柔らかくて上品な味わいのハタハタは塩焼きや一夜干しが最高ながら、郷土の味「しょっつる(塩汁)」ははずせない。しょっつるは塩漬けにしたハタハタを長時間貯蔵し、そこからしみでる汁をこしたもの。ハタハタはこのしょっつる鍋の材料にも使われる。秋田のハタハタはそのおいしさもさることながら、資源を守るための活動が地元漁業者を中心に行われている点が注目されている。年によっては全面禁漁も実施。将来資源が減少しないために幼魚の漁獲を避けることや、水揚量の制限を申し合わせている。

 

 

 

 

 

水産界10月号

 

                    柳の葉が姿を変えた、日本固有の魚

 

秋が深まっていくこの時期、北海道胆振(いぶり)地方の太平洋岸、むかわではこの季節の風物詩、シシャモの天日干しがみられる。塩焼きや天ぷらにしてほどよい脂の身を、ほくほくしながら食べるのが最高ながら、産地では獲れたてを刺身や寿司で味わう。

提供:カネダイ大野商店

スーパーなどで一年中販売している子持ちシシャモではなく、北海道近海で漁獲されるシシャモ。市場では区別するため本シシャモと呼び分ける。世界でも北海道南部の太平洋沿岸、釧路から襟裳(えりも)岬をはさむむかわにかけてのみ分布するシシャモは毎年秋になると、サケと同じように生まれた川に戻ってくる。

最近は資源を守るため漁獲枠が決められており、漁期も10月から11月の2ヵ月に限られる。シシャモは漢字で書くと「柳葉魚」。アイヌの伝説からつけられた名前とか。

シシャモの名は、アイヌの神によって柳の葉(スス「柳」とハム「葉」)からつくられたという伝説に由来する。伝説では、サケが獲れなくて困ったときにアイヌの人々がカムイ(神)に祈りをささげたところ、柳の葉が落ちて魚になった、これがシシャモであったとされる

一昨年の9月におきた北海道胆振東部地震。震源地の厚真町に隣接し震度6強の揺れに見舞われ、甚大な被害を被ったむかわ町。シシャモの産地として最も著名で、地域ブランドに認定された“鵡川ししゃも”は大きいサイズは10尾で数千円になる。

塩水につけて生干ししたものを火でさっとあぶって食べるのが一般的だが、地元では刺身やすしネタとしても食され、シシャモを入れた柳川風の「柳葉魚鍋」もある。

 

 

                    心していただきたい神の魚

 

鮭といえば北海道。アイヌ語ではサケを「カムイ・チェプ」(神の魚)とか「シペ」(本当の食べ物)と呼ぶ。サケはアイヌの人々にとってたいへん重要な意味を持つ魚である。サケには神が宿るとされ、川に上らぬ年は飢餓を意味したともいう。秋から冬にかけて卵から孵化(ふか)した稚魚は北海道の川で幼少期を過ごした後、雪どけの季節に川をくだる。オホー12月号「大雪」歳時記海道へと帰ってくる。生まれた川へ遡上(そじょう)を始めるのは9月頃から。北海道で「秋鮭」や「秋味」の名で親しまれるこれらのサケを、海に仕掛けた大型の定置網で獲っている。

アイヌの人々によるサケの豊漁祈願の儀式

産卵のために母なる川へと回帰する―母川回帰(ぼせんかいき)は、サケの魅力を語る上で欠かせない。各地にサケをめぐる言い伝えが残るのも、大海から生まれた川にちゃんと戻ってくるサケに、人々が神秘感をいだいたからだろう。岩手や山形には旧暦の11月15日(現在の12月)の夜、鮭のオオスケという王が眷属(けんぞく)をつれて、「オオスケコスケ、いまのぼる」と言ってやってくるという言い伝えがある。この声を聞くと三日のうちに命を失うといって人々は外出を慎み、そしてこの日が過ぎると川に鮭の群れが上ってくる。サケがのぼる河川として日本の南限とされる遠賀(おんが)川上流、福岡県嘉穂町の鮭神社では、サケは竜宮の遣いとして食用が禁じられてきた。

広大な海のなかをのびのび泳ぎ、2~3万㌔にもおよぶ長い道のりを旅してきた天然の生の秋鮭が店頭に並ぶのは一年で今だけ。焼くだけでなく、煮ても揚げてもおいしいサケ料理のレパートリーが秋の食卓に彩りを添えてくれる。旬と向き合うなら、塩麹漬けにしてみるのもひとつ。生筋子でつくるいくらのしょうゆ漬けはつくりたて、できたての食感を楽しめる今だけのぜいたくだ。

アイヌの人たちによると、鮭の目は記憶を良くするし、背わたは貧血にもきく、頭から尾まで捨てるところはどこにもない、という。だから獲るときも料理するときも、神への感謝の気持ちを忘れてはいけない、と。神の魚、心していただきたいもの。

 

 

 

 

 

水産界9月号

 

                      不漁一転、今年こそ

青空が広がり、秋風が吹くと、サンマが無性に恋しくなってくる。ある全国紙が「今年も食べたい秋の味覚」を読者に聞いたら、ほかを断然引き離していた。2位に新米が入り、3位梨、4位松茸、5位は栗、6位の柿までは団子レース。海育ちは12位の戻り鰹まで姿が見えず、秋刀魚の独壇場である。

食べておいしいだけでなく、秋によく似合う。秋刀魚を焼く光景は一幅の絵画である、と言ったのは魚博士で知られた末広恭雄だった。したたる脂が炭火にはぜる。煙は流れて、夕靄(もや)にとけこんでいく。そこはかとない郷愁が呼びさまされる。しみじみとして、ときにほろ苦くもあるサンマの味わいを人生に重ねたくなるのはだいたいが昭和世代である。聞けば最近は、腸なんか捨てて開きにしてね、という客も多いそうだが、あの腸(はらわた)の苦味こそがサンマの味だと言い張るのも、かの世代の特徴かも。

秋刀魚の文字どおり、刀身のようにスリムで銀色に腹を光らせたその体形から狭真魚(さまな)と呼ばれていたのが訛って‘さんま’になったともいわれる。とはいえ、この時季、たっぷり脂がのり、けっこう肥満体。小さな頭に、力士さながらに肩が盛り上がり、アンバランスなほどウエストも太る。

かつては漁師の特権だったさんまの生食は、輸送技術と漁師の鮮度管理がもたらした新しい食べ方だ。遠い消費地でも可能になったのは2000年代に入ったころ。寿司や刺身はもちろん、サラダにカルパッチョ、たたき、なめろう。今のさんま人気を後押ししているのは、こうした生食の広がりだ。

7月初旬に北海道沖で初水揚げの報せが根室からとどき、秋の訪れとともに親潮にのって、大海原を回遊しつつ、太平洋を日本列島に沿う様に南下するさんまの群れ。ちょうどこの頃から10月頃までに三陸沖を経て、常磐沖から房総沖へ。11月から初冬にかけて伊豆半島や紀伊半島の沖合いにやってくるころには、脂が落ち、身が引き締まってくる。伊豆地方の名物さんま寿司や、熊野地方のさんま丸干しにはこの脂がぬけたさんまが向く。

さんま寿司 西伊豆町観光商工課提供

ここ数年不漁のニュースがつづき、今年も出足が鈍く、気をもむ毎日が続く。

 

 

江戸前天ぷらの主役

日本人になじみ深い釣魚のハゼは、江戸時代後期に天ぷらが登場して以来の代表的なネタだ。秋に旬を迎えたものは「彼岸」の名を冠し、珍重される。

とくに東京湾のハゼ釣りは、江戸の昔から有名だ。夏の幼魚は食欲旺盛で、釣り糸にもかかりやすく、初心者でもおもしろいように釣れる。

江戸時代から盛んだったハゼ釣り。これを陸(おか)釣りするのはもっぱら庶民の楽しみで、金持ちは舟を仕立てての釣り三昧(ざんまい)としゃれこんだ。釣ったそばから刺身や天ぷらで食べるのだから豪華な遊びだった。

ハゼは自分で釣って食べる魚といわれ、店頭に出回ることもない。釣ったそばから揚げて味わう天ぷらは、釣り人の特権だ。隅田川や佃島などでは釣ったハゼをその場で天ぷらにする、はぜ船がいまでも行きかう。

ほっこりと甘いハゼの天ぷらは、江戸前天ぷらを代表するタネ

あっさりしたクセのない白身魚で、秋から初冬にかけて、大きく育ちいっそううまみが増す。秋分のころに型が大きく味がよくなるものを「彼岸はぜ」、晩秋から初冬にかけて、産卵のため深場に移動したものを「落ちはぜ」と呼ぶ。

あっさりした白身は天ぷらやから揚げがぴったり。なかでも東京湾でとれるハゼは江戸前ハゼとも呼ばれ、食通に珍重される。

夏などに獲れる幼魚「デキハゼ」という小ぶりのものはから揚げにするのもよい。この小ハゼは佃煮でもおなじみだ。デキハゼの佃煮は佃島名物。また、落ちはぜの卵巣を塩漬けにした塩辛は、隠れた珍味だ。

もし大漁だったら、南蛮漬けにしてもよい。揚がったハゼをいったん冷まし、二度揚げをする。季節野菜をたっぷり入れ、酢をきかせた南蛮酢に漬け込めばできあがり。

秋分のこのころに獲れる20㌢以上ある大きい活け魚は、刺身や洗いにして非常に美味だ。脂肪が少なく、カルシウムが豊富なハゼは、俗に「お彼岸の中日に食べると中風にならない」ともいわれる。

忘れてならないのが、素焼きにしたあと干して作る「焼きはぜ」。内臓を取ったハゼを軽く焼いて風干ししたものだ。とてもよいだしがでるため、仙台や山陰の中海地域などでだし取りに使われる。

« »