明治時代を代表する水産博物画の権威「伊藤熊太郎」その生涯と作品について 明治~昭和にかけて活躍した博物画家
伊藤熊太郎とその生涯は?
明治~昭和に活躍した博物画家の伊藤熊太郎は、元治元年(1864年)に生まれましたが没年や詳しい生涯・子孫は謎に包まれています(生まれについては「こちら」を参照)。
1907年~1910年には汽船アルバトロス号に写生担当として乗船しています。
日本魚介図譜(昭和4年:1929年発行)によると、「明治30年(1897年)頃まで農商務省水産調査所で水産動植物を写生した」とされています。
昭和6-7年(1931-32年)に発行された本会の月刊誌「水産界」によると、「魚介写生の権威者であり、明治22年(1989年)以来水産局嘱託として多年魚介藻類の写生に従事し、水産に関する文献に寄稿する事多く、後米国政府の嘱託により馬尼剌(マニラ)及米国にある事18年にわたり専ら同国水産局のために魚介の写生に従事するなど40年余りの久しき水産生物写生の専門家」とされています。
現在、氏の図は東京海洋大学図書館にも一部が保管されています。
大日本水産会出版の「日本水産動植物圖集」とは?
昭和6-7年に大日本水産会が作成した「日本水産動植物圖集」には、明治から昭和初期にかけて活躍した魚類博物画家「伊藤熊太郎」氏が描いた魚の画が収められています。
約2年の突貫事業であることを考えると、伊藤熊太郎65歳の作品と考えてよいでしょう。
日本水産動植物圖集の原画
大日本水産会で伊藤熊太郎の直筆原画101枚を保管しています。
うち100枚は日本水産動植物図集の原画であり、約50枚が魚、25枚が貝、海藻などです。
当時利用されていた水産物を中心に書かれており、現在との魚種の差とその理由を考えると興味深い資料です。
どれだけの価値??と気になる方は、「こちら」からなんでも!鑑定団に出た際の事をまとめていますのでどうぞ!
デジタル化について
触るだけ劣化していく、世界で唯一の原画を有効活用するためにデジタル化して状況を確認するとともに保管方法を検討中です。
ぬりえでの活用
デジタル化した図の一部は、「おさかなぬりえ」の表紙に使用して出前授業等で使っています。
原画を拡大!巨大モンスターを学校に呼ぼう!
他に学校の廊下に貼りだせるデータも作成しました。「こちら」から。
↑サイズイメージです。
100年近く前に描かれたカジキを印刷して・・・給食でカジキを食べる!なんて素敵!ですよね?
原画が残っている事の意味
100年近く前に、ここまで美しく魚の絵が描かれ、さらに現在まで綺麗な状態で残っている事は、先輩方の努力によるものです。
戦災等による焼失、紛失せずに現在に継承されてきた原画は、歴史的にも貴重な史料です。
これからも活用しながら大事に保管していきます。
90年以上前に魚を絵にした理由は?
写真を取ればいいじゃない!と思うでしょうが、明治~昭和の写真が無い時代、図鑑は手書きされていました。
今は魚の標本は凍らせたり薬品につけて取っておけますが、当時は絵で確認するのが一般的だったのでしょう。絵で種類を確かめたり研究したと考えられます。
絵を描くときに、氷も少ない時代にどうやって鮮魚の色を記録したのか、現代では考えられないくらいの苦労があったはずです。
キラキラした部分は雲母という岩石を砕いて表現したり、色の表現も苦労があったようです。
大日本水産界発行関連資料について
「こちら」に1890年に出版された「日本重要動物植物図」を紹介しています。